自己紹介

自分の写真
イラストレーター、DJ ヨシダキョウベイ[Kyobei]/大阪芸術大学美術学科中退/伊勢志摩マニア お仕事のご依頼は kyobeya@gmail.com まで。

2011年1月30日日曜日

VESPAでお蔭参り その3


その1未読の方は⇒こちらへどうぞ
その2未読の方は⇒こちらへどうぞ 

三日目。旅の最終日。またぞろ暗いうちに目をさまし、一人大部屋を抜け出して朝の二見浦へ。もちろん前日に撮り損ねたご来光をしかとファインダーに収める為であります。この日はヘマもなく無事、日の出前に二見興玉神社へと着きました。撮影場所も確保し準備万端、カメラ構えて待つ事数十分。へい、かもん!どーんと来やがれおひさま!…なんて気張っていましたが蓋を開けてみると薄曇りの空。昇った太陽は輪郭がぼやけ、膜で覆われたかのようにおぼろ気な輝きであります。さながらコンドームを被った太陽。朝日を薄汚く感じたのは生まれてはじめてです。過度な期待がそう感じさせるのでしょうか、諦めていつものコンビニへ行きサンドイッチを買ってベンチでモーニングを摂る事にしました。“御来光激写”はあえなく失敗に終わりましたが海を眺めながらの朝食はやはり気持ちがいいものです。潮騒の中、寄せては返す白波を見守るうち、時化て曇る日もあれば凪いで晴れる日もある事を思い、いつか最高の御来光に巡り合えるだろうからまた懲りずにおいでよと海に言われているような気さえしてきました。とにかく天候に一喜一憂しているのが勿体ない。今日を悔いの残らぬよう楽しまねば、と二見浦を後にします。

 宿へ戻りチェックアウトの準備をします。が、土産物で荷物が増えた為、リュック詰めに難渋します。ぼこぼこに膨れあったリュックはまるで登山隊の物のようです。何度も出しては入れ直し、旅装を整えながら、昨晩(早々と就寝した為)ろくに話も出来なかった相部屋の宿泊客と会話を楽しみました(皆さん東京から来た人たちでした)。
潮音山大江寺
 さてチェックアウト。ありがとう大江寺ユースホステル。今までに何度も利用してきたというのにいつも去り際の寂しさに襲われます。時間の許す限りもっとここにいたい。お世辞にも綺麗とは言えないし見ず知らずの人間と相部屋で風呂もトイレも共同、蜘蛛だって出る。虫の鳴き声もすりゃ蟇蛙が玄関に現れた事だってあるけどそんな手つかずで放縦な自然の只中にあるこの宿が大好きだ。ビジネスホテルや民宿では決して味わえない、豊かな生命の息吹と懐かしさと交流がここにはあるのだ。
 後ろ髪引かれる思いで引戸を閉め、大江寺本堂の方に御参りを済ませたらべスパに跨り江の町を後にします。どこに行こうか白紙状態のまま一路、42号線を南に走り、鳥羽方面へと向かいます。池の浦や蘇民の森を通り過ぎ、海を横目に朝のドライブです。気持ちいい事この上ないのですが、このルートに少々飽きを感じていた為、鳥羽駅手前で方向転換、再度神宮参拝をすることにしました。数年前、地元警察の方から教えて頂いた裏道を使い鳥羽から一気に伊勢神宮内宮まで行きます。途中、別宮である月讀宮に出くわした為、ここも参拝いたしました。内宮参拝の際いつかお参りしようと思いながらもついつい遷延を繰り返してきたのでこの機会を逃すまいとべスパを停めます。月讀宮は宮域内に別に三社を祀っており、月讀尊(つくよみのみこと)の魂を祀る月讀荒御魂宮つきよみのあらみたまのみや)とイザナギノミコトを祀った伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)とイザナミノミコトを祀った伊佐奈弥宮(いざなみのみや)を合祀しております。イザナギとイザナミといえば“国生み”の神話が有名な夫婦神で国土を生み、沢山の神々を生んだ創造神です。国土をべスパにて走り回り、創造(想像)を楽しむ者のはしくれとしては畏敬の念が沸き起こらずには居られません。三社とも丁寧に二礼二拍手一礼の拝礼を致します。
参道歩かば…
 月讀宮から走る事1.8km程。内宮に到着です。駐輪スペースにべスパを停め、再度宇治橋を渡ります。神域の玉砂利を踏み歩き、大樹の杜を抜け、柔らかな木漏れ日に染まる石段を上がって拝礼致します。深呼吸するととても心地良く、上質な酸素が肺の奥底へと沁み渡り体の中までリフレッシュされたような気分になります。樹々と樹々の隙間からそこはかとなく漂う臨在感。ある人はそれを“神の息吹”と表現し、またある人は“杜の声”だといいます。確かに樹齢何千年にものぼる樹々が沢山あり、大いなる生命の脈動が今まさに波を打っている事が傍に感じられるのです。
 しばし清新な心持で宮域を逍遥します。荒祭宮、風日祈宮と別宮二社を参拝してから伊勢神宮内宮に別れを告げます。ザクザクと参道に響く玉砂利の音がいつまでも余韻となって心に響きます。

荒祭宮
 午前中とはいえ小腹が空いて来ましたので、おはらい町の人波を掻き分け進み、定番中の定番、赤福本店にて赤福餅を食べる事にします。伊勢神宮に来たら必ず本店を訪れるようにしていますが、今回は旅の最後の〆という形になりました。五十鈴川に臨む座敷席にて熱い伊勢茶と赤福餅を味わいます。座敷の向こうには神路山の眺望が広がっています。江戸時代には『一生に一度はお伊勢参り』と言われる程、お伊勢参りが大流行したといいます。通行手形を持たず家族や雇用主にも許可を得ず『抜け参り』と呼ばれる違法の旅に身を投じる者まで現われたそうです。その事を思うと時代が変わったとはいえ、当時の人から羨ましがられるような旅行を何回もしている自分が本当に贅沢者に思えてきます。そんな事を考えながら春のうららかな山化粧を眺めました。おそらくこの景色は当時から変わっていないのだろうな、なんて遠い中世に思いを馳せつつ一盆たいらげました。
 さて赤福本店を後にして、やはり気になっていた神宮御料酒〈白鷹〉を買う事にしました。〈白鷹〉の酒造は兵庫県西宮市にあり三重(伊勢)の地酒ではないのですが内宮にて供奉されてある樽の白鷹を見るにつけ、一度飲んでみたいという思いに駆られていたのです。直売所白鷹商店へ行き、一合を直呑みしている客をうらやましく思いながら一本買いました。べスパ後部シートに括り付けていたリュックに壜を無理矢理つっこみましたがもはやぱんぱんに膨れ上がってウミガメみたいになっています。
戦利品
 さあ、充分楽しんだ。時間も時間です。早めに切り上げ大阪に帰ろう。と思いべスパを走らせましたが、忘れていた用件を思い出し、初日に訪れた河崎町へと再度向かいました。酒器を買うのを忘れていたのです。あてがあったわけではないのですが昔ながらの町屋が建ち並ぶあの界隈なら何かしら器を商う店があってもおかしくない、と思ったからです。で、行ってみるとやはりありました。食器、陶器全般を扱っている店が。…ですがこの店、ほぼ商売は諦めているのか、商品はほとんどが埃まみれ。しかも余程来客が珍しいのか私が入ってきてもしばらく電気を点けないで私の顔や出で立ちを眺めまくっています。なんとも弛緩した店であります。商売を半分放擲したような店ですが、意外な事もあるもので私が求めていた意匠の器をずらり取り揃えてあったのです。そう、私がイメージしていた酒器とは陶芸家が作るような高級かつ典雅な一品とは違い、どこか安物臭漂う伊勢志摩旅行の記念品的な器が欲しかったのです。店主が大阪から来たのか等と延々質問責めをして来る間、ゴミのように無造作に積まれた器達を仔細に眺めていたら、ガラスケースの中で一際いい味を醸し出した杯が転がっているのを発見したのです。白地に筆で殴り書いたような川が描かれ「内宮」と書かれてある。同じようなデザインで海と岩が二つ描かれた物もあります。しかも御丁寧に「二見浦」と書かれてある。なんて安いデザインなんだ!あまりにも安すぎて今時無いぞ、と小躍りしそうになりながら店主の嫁らしき方に一個一個見せてもらった(店主はさんざん喋った後、接客を勝手に切り上げどこかへ消えていた。なんて自由人だ)。するとどれもこれも縁が欠けていたり絵がずれていたり剥げていたりと、十個程見てもまともな状態の物は一つもなかった。普通なら買わないのだが、此処まで来たら“邂逅”“運命”“めぐり会い”だ。買わずに帰る事など考えられなかった。なのでまとめて千円でどうかと交渉してみた。すると断られるどころか願ってもないといわんばかりにあっさり取引成立。当たり前だ。埃まみれの“難有り物”を買おうなんて私くらいのものだものな。
 パンパンになって悲鳴を上げているリュックにもう少し頑張ってもらい酒器を詰込みます。さあ今回も伊勢志摩を存分に楽しませてもらいました。いざ帰ろうぞ!ってな事で大阪へ向けべスパを飛ばします。アクセル全開。天気も晴れてきた。度会橋を越え、宮川沿いに輝く春の景色を横目に伊勢を後にします。風にたなびく緑の世界。草木の匂いがまるで私を帰さなくするように優しく包み込んで来ますが、それらを容赦なく突き破り街道を進みます。心には溢れんばかりの名残惜しさで一杯でした。また絶対来るよ!私はべスパが進むたびに後方へと流れていく伊勢志摩の景色と思い出に一人ごちました。
おしまい

0 件のコメント:

コメントを投稿