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食後は持ってきたカメラで二見~江の風景を撮りながら散歩し、宿へ戻ります。戻る途中、前方から来た相部屋の奈良の子のバイクとすれ違いました。旅装で運転していたので既にチェックアウトしたようです。お互い手を振って別れました。部屋へ戻るともう一人、神奈川県厚木市から自転車で来たという男の子も既にチェックアウトしておりました。がらんとした大部屋で一人、持参PCで書き物をしていると千葉市川の女性がチェックアウト前に挨拶をしてきました。これから和歌山熊野方面を旅するとの事です。どうやら私以外は皆、一泊だけのようです。とにかく良い旅を。
やれ顔を洗い歯を磨いたら、私も一路、本日の目的地大王埼灯台を目指しべスパをキック・スタートさせます。朝の清浄な空気の中、眼前にそびえる朝熊山を眺めつつ走ります。2ストロークエンジン特有のパーカッシブな鼓動に乗せられ、二見~鳥羽間の緑の中を期待に胸ふくらませ突っ走って行きます。鳥羽から先へは大好きなパールロードに乗りこみ、快晴の海を見渡しながら、大声で放歌しつつの運転です。対向車にはさぞかし頓狂でアホに映った事でしょう。
ここパールロードは鳥羽~志摩地方の風光明媚な景色が存分に楽しめます。流麗なアーチを描く麻生の浦(おおのうら)大橋付近では停泊する漁船や養殖用の筏群といった港町の風景が広がっていました。そこからワインディングした道をぐるぐる回って、ジュラシックな緑の中を上り下りし、鳥羽展望台へ辿り着きます。時節柄、展望台駐車場では半分以上の車室を使って海藻の天日干しをしており、撒かれた海藻が黒々と繁茂して見え、まるで陰毛の森に迷い込んだかのようでした。
展望台では観光客やライダー達が憩い、伊勢湾の雄大な景色を楽しんでいます。ここから見る太平洋は青く美しく、海の茫洋たる広さを感じる事が出来ます。快晴の日は遠く富士山まで見えるとの事でしたがあいにくこの日は水平線が靄で霞み、山頂を拝む事は叶いませんでした。南東の湾岸を眺め稜線の彼方に控えているであろう大王埼を捜しましたが、地形まで詳しくはないのでどれがどれだかわかりません。そもそもここから見えるものかすらあやしいのですが、気持ちが高揚しているのでもうどうでもいいと思いながら景色を堪能致しました。陳腐ではありますが“一大パノラマ”という表現はここ鳥羽展望台の為にあるのだな、とさえ思いました。土産物売り場を覗き(ここでも酒の物色をし)名物の大内山牧場ソフトクリーム(濃厚!)を食べ展望台を後にしました。
パールロードへ戻り、南へ走ります。沿道では〈カキ食べ放題〉と大書された幟旗がはためいており、シーズンは終わったものの焼きカキやカキフライなどをあつかう店舗が沢山ありました。大好物ですが時間的にまだお昼ご飯の時間でもなかったので諦めました。
さてパールロードも終わり、阿児町に出ます。そこから国府海岸を目指し東へ走ります。ここ国府海岸は浜長3kmあり、遠浅の砂浜と程良い波の高さがおあつらえ向きなのか近畿や中部地方からサーファーが沢山集まって来ます。沿岸の町〈国府〉には彼ら御用達の民宿や食堂等も沢山あり、さながら波乗り達のメッカと化していますが、決して雑然とした雰囲気の町ではありません。むしろとても落ち着いて古式ゆかしい佇まいを残した町でもあるのです。家屋はどれも低く造られてあり、海風と塩害への対策なのか防風林の生垣を高くめぐらして整然と建ち並んでいます。それらの合間を細い路地が縫うように走り、迷路のような独特の町並みを形成しており、区画という区画に美しさすら感じさせます。とても落ち着いた景観です。
海辺で記念撮影をひとしきりした後、昨年訪れた際、気になっていた地元の食料品店に立ち寄る事にしました。看板は無く、壁に山のマークとひらがなで「み」と直に書いただけの店(みやま商店?やまみ商店?)。なんてことない商店なのですが興趣そそる物を感じ、ガラガラと戸をすべらせ中へ入ります。菓子やパン、雑貨類とともにアジのヒラキやめざし等の鮮魚コーナーまであり、レジでは宅急便の受付までやっています。スーパーマーケット未満のちょっとしたコーナー・ショップ。まだコンビニが全国津々浦々に出来るまではこういったお店が私の地元にも沢山ありました。懐かしい雰囲気に浸っていると店の女主人に話しかけられたので大阪から来た事や、浜の眺めが素敵だという事を話しました。女主人は志摩半島湾岸の美しさを語った後、横山公園からの眺めが絶景だと教えてくれました。夕日に暮れなずむ英虞湾が見られるとのことであります(ちなみに地元の人間は英虞湾側を裏の海と呼び太平洋側の海を表の海と呼ぶそうです)。
女主人からしばし地元話を聞いた後、缶コーヒーを買って出ました。また真夏の灼熱の日にアイスでも買い食いしに来よう。小学生の夏休みに訪れた田舎のばあちゃんちの、そのまた近所にある雑貨店、そんな感じのするどこか懐かしいお店でありました。
寄り道もさておき大王埼を目指して走ります。が、ここからは交通量の多い国道を避け海沿いの生活道路を南へ下る事にします。細い一車線のみの道を走り、ときどき現れる対向車を避け、海辺の町の風景を楽しみます。ブロック塀の隙間に網を干していたり、日陰でたむろする地元の老人達や時代ものの乳母車に荷物をのせ坂道を器用に上っていくおばあちゃんの姿など、圧倒的に老人が多いけどみな日焼けして頑健で逞しい印象でした。
バス停や町名表示等のサインに〈大王町〉と出てきたら、もう近くです。ただここから灯台までの道が分かりづらい為(地元の人に聞いて行くべきとガイド本にもあるくらい)いつ来ても迷いそうになるので記憶の糸を手繰り寄せながら慎重に走ります。今回はなんとか無事大王町は波切漁港に到着です。やはりゴールデン・ウィークの為、車や人が沢山集まっていました。いつもの駐車場に行くと顔なじみのお姉さんが迎えてくれました。この方もとは大阪の方なのですが地元の漁師の方とご結婚されこちらに移り住んでおり、家事の合間ここの駐車場管理を担当しているとの事です。聞けば5月4日にここ波切漁港で“カツオ祭り”が行われるとの事です(旦那さんは祭に備えて和歌山沖までカツオ漁に出ているとの事でした)。姉さん曰くカツオは地元で食べるのが一番、味が格段に違うのよ、との事。たしかに言われてみればカツオを使った伊勢志摩名物〈手こね寿司〉はこの辺りの漁師料理が発祥です。本場中の本場は格段に違うのだろう。こりゃ是非賞味せねば、と思いたい所ですがこちとら5月3日に帰阪予定でした。残念であります。次回は必ず日本酒とともにカツオを堪能したいものだ…等とぼやきつつ、とにかく灯台へと向かって歩きます。土産物を売る店が並ぶトンネル状の坂道を上るや大王埼灯台が見えてきます。崖に聳える白亜の塔、といった趣。
以前には無かった灯台博物館という施設が併設され、灯台周囲のアプローチも綺麗に整備されリニューアルしていました。灯台内部のらせん階段を昇り、バルコニーに出て潮風を全身に浴びます。ぐるり太平洋を眺めますがいつ来ても足ががくがくと震えます。この灯台は海辺の崖の上に立っている為、高所感覚が凄まじいので風圧を感じる度、吹き飛ばされるような感覚に陥るのです。今まで何度もバルコニー一周をチャレンジしてきましたが、いつも足がすくみ早々に灯台から逃げ下りてしまいます。ところがこの日は違いました。頼りなさを感じていた以前までの鉄柵の替わりに、新しく頑丈そうな鉄柵が設えてあるのです。おかげで安心感が増え、勇気も湧いてきました。なんとか時計周りにバルコニーを一周した後、東側に立ち止まって暫し太平洋を遠くまで眺める事が出来るようになりました。沖合ではヨットが波間をたゆたっております。あの中では今頃、ヨットオーナーが美女とシャンペンなんかを楽しんでいるのだろうか…、なんて妄想をもて遊んでは高所の恐怖を紛らせました。
灯台を下りた後は併設の灯台博物館を観覧しました。その後、近くの波切神社まで海辺を散策します。大王町は灯台以外にも〈絵かきの町〉として知られており、油絵サークルの人達が写生に訪れたり、中部地方や近畿地方の学校の美術部がよく合宿に訪れたりします。この日は学生はおらず中高年の油絵サークルの方々がデッサンをしているのみでした。イーゼルを立てていたり、クロッキー帳をひろげていたりといった光景はここではよく目にします。
ひとしきり漫ろ歩いていると野良猫と出会いました。茶トラのチビです。こいつはカメラで撮られていると気付くや逃げもしないで寄ってきます。よく見ると喧嘩に負けたのでしょうか片目が潰れています。もう片方の目もうっすら膜がかかったようになっています。でもそんなことは当の茶トラ坊やは気にもしていないように甘えてきます。しばし近寄って撫でてみますと私の膝に乗るわ指を噛むわ体を登ろうとしたり、私の顔にぐんぐん近づいて来ます。私がのけぞるとここぞとばかりに上におぶさって来ます。なんて積極的な子なんだ。横に移動するとまたついて来てじゃれて来ます。おかげで服は毛だらけです。しばらく付き合って遊びましたがずっといるわけにはいきません。『んじゃな』と暇を告げ別れますが、みゃみゃみゃと鳴きながら私の後をついて来ます。胸をしめつけられる思いで追い払いますがやはりくっついて来ます。がやはり、連れて帰る事は出来ません。速足で逃げるように歩くと、ある時点で鳴き声が途絶えました。振り返ると道端に立ちつくしじっとこちらを見ている茶トラ坊やの姿がありました。諦めたような寂しい佇まいの茶トラ坊やが、私が歩を進める毎に小さくなって行きます。ありがとう、さようなら。いい飼主に出会えますように。
ナポリならぬ“鳥羽を見てから死ね”ですな |
パールロードへ戻り、南へ走ります。沿道では〈カキ食べ放題〉と大書された幟旗がはためいており、シーズンは終わったものの焼きカキやカキフライなどをあつかう店舗が沢山ありました。大好物ですが時間的にまだお昼ご飯の時間でもなかったので諦めました。
海亀が産卵しに来たりもします。 |
海辺で記念撮影をひとしきりした後、昨年訪れた際、気になっていた地元の食料品店に立ち寄る事にしました。看板は無く、壁に山のマークとひらがなで「み」と直に書いただけの店(みやま商店?やまみ商店?)。なんてことない商店なのですが興趣そそる物を感じ、ガラガラと戸をすべらせ中へ入ります。菓子やパン、雑貨類とともにアジのヒラキやめざし等の鮮魚コーナーまであり、レジでは宅急便の受付までやっています。スーパーマーケット未満のちょっとしたコーナー・ショップ。まだコンビニが全国津々浦々に出来るまではこういったお店が私の地元にも沢山ありました。懐かしい雰囲気に浸っていると店の女主人に話しかけられたので大阪から来た事や、浜の眺めが素敵だという事を話しました。女主人は志摩半島湾岸の美しさを語った後、横山公園からの眺めが絶景だと教えてくれました。夕日に暮れなずむ英虞湾が見られるとのことであります(ちなみに地元の人間は英虞湾側を裏の海と呼び太平洋側の海を表の海と呼ぶそうです)。
女主人からしばし地元話を聞いた後、缶コーヒーを買って出ました。また真夏の灼熱の日にアイスでも買い食いしに来よう。小学生の夏休みに訪れた田舎のばあちゃんちの、そのまた近所にある雑貨店、そんな感じのするどこか懐かしいお店でありました。
寄り道もさておき大王埼を目指して走ります。が、ここからは交通量の多い国道を避け海沿いの生活道路を南へ下る事にします。細い一車線のみの道を走り、ときどき現れる対向車を避け、海辺の町の風景を楽しみます。ブロック塀の隙間に網を干していたり、日陰でたむろする地元の老人達や時代ものの乳母車に荷物をのせ坂道を器用に上っていくおばあちゃんの姿など、圧倒的に老人が多いけどみな日焼けして頑健で逞しい印象でした。
バス停や町名表示等のサインに〈大王町〉と出てきたら、もう近くです。ただここから灯台までの道が分かりづらい為(地元の人に聞いて行くべきとガイド本にもあるくらい)いつ来ても迷いそうになるので記憶の糸を手繰り寄せながら慎重に走ります。今回はなんとか無事大王町は波切漁港に到着です。やはりゴールデン・ウィークの為、車や人が沢山集まっていました。いつもの駐車場に行くと顔なじみのお姉さんが迎えてくれました。この方もとは大阪の方なのですが地元の漁師の方とご結婚されこちらに移り住んでおり、家事の合間ここの駐車場管理を担当しているとの事です。聞けば5月4日にここ波切漁港で“カツオ祭り”が行われるとの事です(旦那さんは祭に備えて和歌山沖までカツオ漁に出ているとの事でした)。姉さん曰くカツオは地元で食べるのが一番、味が格段に違うのよ、との事。たしかに言われてみればカツオを使った伊勢志摩名物〈手こね寿司〉はこの辺りの漁師料理が発祥です。本場中の本場は格段に違うのだろう。こりゃ是非賞味せねば、と思いたい所ですがこちとら5月3日に帰阪予定でした。残念であります。次回は必ず日本酒とともにカツオを堪能したいものだ…等とぼやきつつ、とにかく灯台へと向かって歩きます。土産物を売る店が並ぶトンネル状の坂道を上るや大王埼灯台が見えてきます。崖に聳える白亜の塔、といった趣。
昇らんかな! |
地球は丸く、海は広い。 |
ひとしきり漫ろ歩いていると野良猫と出会いました。茶トラのチビです。こいつはカメラで撮られていると気付くや逃げもしないで寄ってきます。よく見ると喧嘩に負けたのでしょうか片目が潰れています。もう片方の目もうっすら膜がかかったようになっています。でもそんなことは当の茶トラ坊やは気にもしていないように甘えてきます。しばし近寄って撫でてみますと私の膝に乗るわ指を噛むわ体を登ろうとしたり、私の顔にぐんぐん近づいて来ます。私がのけぞるとここぞとばかりに上におぶさって来ます。なんて積極的な子なんだ。横に移動するとまたついて来てじゃれて来ます。おかげで服は毛だらけです。しばらく付き合って遊びましたがずっといるわけにはいきません。『んじゃな』と暇を告げ別れますが、みゃみゃみゃと鳴きながら私の後をついて来ます。胸をしめつけられる思いで追い払いますがやはりくっついて来ます。がやはり、連れて帰る事は出来ません。速足で逃げるように歩くと、ある時点で鳴き声が途絶えました。振り返ると道端に立ちつくしじっとこちらを見ている茶トラ坊やの姿がありました。諦めたような寂しい佇まいの茶トラ坊やが、私が歩を進める毎に小さくなって行きます。ありがとう、さようなら。いい飼主に出会えますように。
大王町を後にし、本日の旅の最終メニューである志摩半島の突端、御座白浜までべスパを飛ばします。英虞湾を横目に走り、潮風に塗れる道すがら、この辺りが志摩半島で一番ジュラシックな光景が続いている事に気づきます。シダ類と照葉樹が繁茂して森を作っている為ひょっとすると恐竜でも出て来るんじゃないか、なんてアホの様な妄想におぼれそうになります。ただ、鳥羽で化石も発見され〈鳥羽竜〉と名づけられているくらいなのであながちアホとは言えませんが…。
御座漁港に着きました。バス・ロータリーがそのまま広場のようになっており、ロータリーを取り囲むようにして民宿と干物屋と喫茶店と海産物加工場が建ち並んでいます。もしこのロータリーにて事件や事故が起こるといっぺんに町中に知れ渡るように出来ています。それくらいここが御座の中心地となっているのが分かります。漁港の雰囲気を楽しみ釣り人や海の色や潮の香りを楽しみます。夕暮れが近づいていた為ここは早めに切り上げ帰る事にします。昼間はいいのですが暗闇の中、高低差があり曲がりくねったパールロードを走る度胸を持ち合わせていなかったからです。これでしかも後ろから高速車に追い立てられようものならもう怖くてやってられないでしょう。
パールロードを志摩から鳥羽へと戻り、そのまま宿へまっすぐ帰ろうと思いましたが、空腹感と疲労から甘いものが欲しくなり、赤福を食べに鳥羽市内に寄り道する事にしました。赤福鳥羽支店前に辿り着いたものの駐輪スペースが線路の向こうにあるとの事で回り道して駐輪しに行きました。へとへとになりつつも糖分欲しさに地下道を走り、店へ行くやガラス張りの店舗内に客は一人もいません。もしやと思い中を見ると店員が帳場から近づいてきて『今日はすべて完売となりました』と仰られた。ごーん。頭の中で鈍い音がしました。
御座にて |
パールロードを志摩から鳥羽へと戻り、そのまま宿へまっすぐ帰ろうと思いましたが、空腹感と疲労から甘いものが欲しくなり、赤福を食べに鳥羽市内に寄り道する事にしました。赤福鳥羽支店前に辿り着いたものの駐輪スペースが線路の向こうにあるとの事で回り道して駐輪しに行きました。へとへとになりつつも糖分欲しさに地下道を走り、店へ行くやガラス張りの店舗内に客は一人もいません。もしやと思い中を見ると店員が帳場から近づいてきて『今日はすべて完売となりました』と仰られた。ごーん。頭の中で鈍い音がしました。
そこからは意地です。うおおおおあかふくあかふくあかふくう~と糖分欠乏の餓鬼と化しアクセル全開べスパをすっ飛ばします。食欲に衝き動かされ燃え盛る火の玉となって二見に戻るや、大江寺YHへ戻らず、二見シーパラダイス内土産物売り場にある赤福に突進します。勘定場では既に本日の売上の集計に入っておりました。ここもか!と一瞬愕然としたものの「まだいけますか?」と尋ねたところ、御土産の方は売り切れましたが、店内での飲食ならまだ可能ですとの事であった。よっしゃー!…という事で今回ようやく伊勢志摩に来て初の赤福を賞味する事と相成りました。もちもちした食感に甘いこしあん。熱い伊勢茶が最高にマッチしています。糖分は沈静作用でもあるのか食後は恐ろしく落ち着いたジェントルメンとなっていました。恐るべし赤福。
さて大江寺YHに戻り、大部屋にて布団を引き直します。大阪から自転車で来た男の子が先にチェックインしていたので一番風呂を勧めました(ここは風呂も共同なのです)。カラスの行水なみに速く風呂からあがってくれたので私も二番手に風呂へ入りました。風呂から上がるやユースの女将さんがやって来て『今夜は大部屋に合計7人泊まるし混乱するだろうから先に布団を並べとこうか』と仰られた。そして女将の号令一下布団の出し並べを手伝わされました(俺も客なんだけどな…)
その後いつもならば他の宿泊客と台所で消灯時間まで駄弁るのですが、この日は起床時間も早かった上、志摩半島一周の旅をして疲労の極みにあった為、布団を被ってちょっと横になって休憩しているうちに眠りの世界に引き込まれていました。たしか夜8時くらいだったはずですが、そんな早い時間に寝る事って幼児以来の貴重な経験であります。
その後いつもならば他の宿泊客と台所で消灯時間まで駄弁るのですが、この日は起床時間も早かった上、志摩半島一周の旅をして疲労の極みにあった為、布団を被ってちょっと横になって休憩しているうちに眠りの世界に引き込まれていました。たしか夜8時くらいだったはずですが、そんな早い時間に寝る事って幼児以来の貴重な経験であります。
その3へ続く…
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