自己紹介

自分の写真
イラストレーター、DJ ヨシダキョウベイ[Kyobei]/大阪芸術大学美術学科中退/伊勢志摩マニア お仕事のご依頼は kyobeya@gmail.com まで。

2011年4月14日木曜日

友達百景その1

M君について

 小学校5年生の時、M君という友達が出来た。彼は自ら立候補し生徒会長をつとめる程のしっかり者であり、四人兄弟の長男で地域の登校班の班長を務めるなど、とても面倒見の良い少年だった。勉強も出来、真面目で、授業中もおしゃべりはせず、先生の言う事はしっかり聴いて成績もよかった。明るく、温厚な性格で他人をいじめるような事はまったくしなかった。野球やサッカー等のスポーツも活発にこなし、何一つ申し分のない少年のように思えた。
 だがM君の家はあまり裕福ではなかった。彼の母親は近所の競艇場内でフランクフルトを売る仕事をしており、M君も学校に内緒でフランクフルト売りの手伝いをしていた。私も一度彼に誘われ、お小遣いの足しになるかと思いフランクフルト売りのアルバイトをやろうとしたが、すんでのところで親から止められ出来なかった。
 M君と私が遊ぶ時は、ザリガニを捕まえに池に行くか、庭球野球に興じるか、自転車で渡船場や川原をうろうろするかでもっぱら戸外のお金のかからない遊びばかりであった。
 かようにあまり家に友人を呼びたがらないM君だったが、なぜか私だけ家に招き入れてくれた事があった。土曜の昼下がり、大阪湾からの潮風と近隣の幹線から流れる排気ガスでセピア色にくすんだ市営住宅4号棟。その高層階にある部屋へ入るとまず驚かされた。部屋中がこれでもかというほど散らかっているのだ。玩具はそこかしこに転がり、衣類は脱ぎ散らかされたままにしてある。布団もひいたままで万年床。枕許には食べた後のカップうどんの容器がスープを湛えたまま捨てられずに残っていた。それらゴミの散らかされた室内を、彼ら四人兄弟と近所に住む低学年の友人達がせわしなく遊びまわっているのだ。大声で笑ったり、歌ったり、泣き喚いたり…
 無邪気そのものだったが、私はその光景が恐ろしくて堪らなかった。子供心にこの雑然とした空間に違和感を覚えたからだ。これは単なる子供の散らかし方とは違う。大人から見捨てられたであろう散らかり方。そう直感する程、彼の家は荒廃しきって無秩序が横溢していたのだ。育児放棄などという言葉を当時は知らなかったが、子供達が親にほったらかされているのが小学生の私でも分かる程の光景だった。

 それから数か月ほど経ったある日の事、私はM君のお父さんについての衝撃的な話を耳にする(誰に聴いたかは忘れたがM君と同じ市営住宅の住人だったと記憶している)それは、M君のお父さんは隣町の銀行に銀行強盗に入った事があるという話だった。それも包丁一本で。しかも、人質をとったり、立て籠もったり、お金を袋に入れさせることもなく、包丁を出した時点であっけなく警備員に取り押さえられ捕まったというものだ。
 その話を聞きショックを受けたと同時にある事について合点が行った。それは過去にM君と遊ぶ約束をしたというのに何度か居留守を使われた時の事だ。約束までしたというのにブザーを押してもドアをノックしても誰も出てこないのだ。おかしい。M君のような誠実な奴が約束を破るわけがない。仮にM君が居ないとしても家族の誰かが居るはずだ。兄弟だって他に三人もいるのだから誰かいるだろう…そう思って何度もノックしたが誰も出てこないのだ。不可解な気分のままその日は帰ったが、同じ事がその後何度か続いた為、ある日、業を煮やした私は、ドアの郵便受けから部屋を覗き込んでみた。すると奥の部屋で、大人の男の足が右往左往しているのが見えたのだ。いるではないか。私は再度ノックした。だが、決してその足は玄関口にやってこない。それどころか私が立ち去るのを待っているかの様に部屋の奥から動かないのだ。子供心に何故だかわからなかった。大人が私のような子供の訪問者に居留守を使うなんてあまりない話だったからだ。その時は裏切られたような気分でM君の玄関前を後にしたが、後日その逮捕話を聞くにつけあの郵便受けの向こうで大人が右往左往していた意味を理解したのだ。情けなくも、お天道様の下を歩けない、罪悪感と羞恥心にがんじがらめにあっている男の姿がそこにあったのだ。息子の友達とはいえその事件を知っているかもしれぬ者を家に入れたくない男の逡巡が、ドアの郵便受けから見えたのだ。そして恐らくはその男の足より奥の方では息を潜め、存在を消しているM君やM君の兄弟が居たに違いないのだ。


 彼のお父さんの事を知ってから私はM君にどう接していいか分からなくなった。それは彼自身も感じていたかもしれない。皆が彼のお父さんについて噂しているのも薄々感付いていた筈だ。周囲の誰もが腫れ物に触れるように接し始めたからだ。私も居留守を使われた事もあり彼とは距離が出来てしまった。
 それからしばらくして学年も変わりM君と私は別のクラスになった。だけど相変わらず友人達は彼の話をする時、必ず『あいつのおやじは~』と手を後ろ手にするジェスチャーでふざけ合っていた。〈手が後ろにまわる〉とは言わずと知れた“捕縛される”の意味である。子供心にも残酷なジェスチャーだと思い彼らの悪意に満ちた冗談を冷ややかに見ていた。M君は皆が陰でそういう噂をしている事を知っていた筈だ。以前の明るさや朗らかさは陰を潜め、大人しくなっていったからだ。とにかく目立たないでおこう、という印象すら受けたし、何かしらの苦難に耐えている風にも見えた。
 
 あれから25年程経った今、彼がどこでどう暮らしているかは分からない。ただ、小学校高学年という多感な頃に周囲の誹謗中傷にさらされる、あの苦境を乗り越えたM君は絶対に我々よりも大きな男になっているに違いない。そう思える程、あの時の彼の試練は容易いものではなかった。私は今でも時折、彼の苦しい時代に傍観者であった事、何もしてあげられなかった事に対して申し訳ない気持ちに襲われるのだ。