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イラストレーター、DJ ヨシダキョウベイ[Kyobei]/大阪芸術大学美術学科中退/伊勢志摩マニア お仕事のご依頼は kyobeya@gmail.com まで。

2011年3月10日木曜日

思い出のぞうもつサンセット

 小学校4年生の頃だったと思うが、通学路に突如ホルモン焼きの屋台が出現した。夕方4時頃、いつもの帰り道である市営住宅横の歩道に、人が一人入れるくらいの屋台が設置されてあったのだ。中ではおっちゃんがせっせとホルモンと手羽先を焼いている。その屋台横ではおっちゃんの相方とおぼしき、肥ったおねえさんが台に並べた駄菓子を売りつつ、ホルモンや手羽先の註文を受けたりお勘定をもらったりと、フォローに回っていた。屋台の周りでは目ざとい連中がすでに集まっていた。近所のガキ大将や、その取り巻きのやんちゃそうな奴らがわんさと屯し、買い食いや玩具遊びに興じていたのだ。
 物珍しさと香ばしい匂いにつられ私も近寄って見た。見たこともない肉が串に刺され鉄板の上でじゅうじゅう焼かれている。脇には醤油を塗られた鶏の手羽先まで焼かれている。〈ホルモン一串20円。手羽先一ケ50円〉と書いてある。小遣いはあまり持っていなかったが、物は試し様、懐をはたいて何串か買い、悪ガキ達と肩を並べその場で食べてみた。そして次の瞬間吃驚した。
 この世にこんなおいしい食べ物があったなんて初めて知ったのだ。
串には弾力のある白いテッチャン(大腸)と柔らかく黒いフク(肺)が交互に刺されてあり、歯応えのある食感は今までに食べたどの肉にも勝るものだった。味も醤油か塩のみで調味されており、後々知る世間一般のホルモン焼のように甘くはなかった。
 感動したのは言うまでもない。これが私にとってのホルモン焼、原体験であり、忘れられない味となった。
 以来、屋台には何度も通った。小遣いの続く限りほぼ毎日買い食いをしに走ったものだ。ホルモンだけでなく手羽先もよく食べた。手が脂でべとべとになるのだが、お腹が満たされるので止められなかった。鍵っ子という事もあり夕方6時頃まで母親が帰宅しないからいつも空腹を抱えて、足を運んでいたのである。
 だけど、そんな日々も長くは続かなかった。
 ある日を境に屋台は居なくなってしまったのだ。
 どうやら“食後の串や手羽の骨等を子供達がポイ捨てする為掃除に困っている”と市営住宅自治会からのクレームにあい、やむなくその場から撤退したというのだ。子供心に大変がっかりしたのを憶えている。最後の頃、肥ったおねいさんがしきりに『ゴミを散らかさないでね』と皆にふれ回っていたのもこの為だったのだ。
 あの不思議な食感と味が忘れられなかった私は、隣町商店街まで赴き、肉屋の店頭で販売されていたホルモン焼を代わりに買ってみた。だが、あの屋台の味とまるで違う甘辛い味付けにまったく好きになれなかった。そして世間一般でいうホルモン焼とは、どちらかといえばこちらの方の味なんだという事も知り、重ねがさね落胆したものだ。もう二度とあの味には会えないんだろうな、と。


 数年後、高校生の私は興味本位で西成~新今宮界隈を探検するようになっていた。辻々角々で小指を立て秋波を送ってくる立ちんぼのおばさんを冷やかし、酔っぱらい同志がパチンコ屋前で喧嘩するのを観戦したりと、町に横溢するスリルを存分に楽しんでいたのだ。そんな夕刻の新今宮で私は懐かしいものを目にした。路肩に停めた軽トラックの荷台にてじゅうじゅうとホルモンを焼いている業者がいるのだ。トラックのまわりではドヤの労働者達が缶ビールやワンカップ片手にホルモンをつつきながら仕事帰りの晩酌を楽しんでいる。
 高校生の身空で彼らむくつけしニッカポッカ・メンの輪に加わるのは勇気がいった。だけど、軽トラ荷台の鉄板から香ばしくも美味しそうな匂いが湯気とともに溢れて来るのだ。育ち盛りの夕刻。食欲に歯止めは利かない。気がつけば私も彼らとともにホルモンやレバーをほおばっていた。一串40円。味はあの頃の屋台の味と違い、やはり甘辛かった。だけど、テッチャン(大腸)が持つ独特の歯応えや風味は一緒だった。私は嬉しさのあまり、機会ある毎に何度もここへ通った。
 だが21世紀に入って11年経った現在立ちんぼも減り、ストリート・ファイトも中々見かけなくなり、軽トラ屋台すら路肩から居なくなってしまった。街並みは整備され、道路占有の問題や食品衛生法の問題等、屋外にて飲食屋台を営むにはあまりにも規制が増えたように思える。おかげで面白い店は軒並み姿を消していった。その中には皆が行列を作ったり、屯したり、足繁く通いたくなる“小さな名店”もあったはずだ。一見住みやすい街づくりをしているようにも見えるが“管理”という名の下、通学路のホルモン屋台が消えたのと同じやり方が執行され、町をどんどん無味でつまらないものにしていってるように思えてならない。多少の混沌と猥雑を恐れるあまり町の活気につながる脈を削いではならないのだ。感動は大人しく整然としたものばかりが生むわけではないのだから。


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